【64】毒親と絶縁するまでの話
再び母と嘘の話
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脳梗塞ではなかった
母からの「脳梗塞で入院した」という電話を受けた翌日、慌てて実家へと戻りました。
自分自身、遠距離の移動にまだ不安はあったのですが、それよりも
『後遺症が残る可能性もあるのかな?』
『リハビリとかも必要だったりするのかな?』
『しばらくは働けないだろうし経済面でもどうしよう?』
……などなど、母の容態やこれからのことで頭がいっぱいでした。
実家に到着すると家の中はあちこちに食べこぼしがあり、お酒がこぼれたままの散々な状態。
それは家事のできない父が一人きりなので仕方がないのですが、それより気になったのは多量の飲酒をしては寝てを繰り返し、母が入院中の状態をむしろ満喫しているかのような父の姿でした。
母との面会も毎日父が同行する必要はないのですが、母の心配など皆無で一人の生活を楽しんでいる父に、少しでも母のことを気にして欲しいという思いから、毎回声をかけていましたが、鬱陶しそうな反応しか返ってきませんでした。
そういった父の母に対する無関心さを目の当たりにすると、高校生の時に私が不在中、必ず体調を崩していた母のことを思い出し、「私が母の力にならなければ」と強く思ってしまいました。
そして数日経ち退院。
退院後色々な人に会う度に「脳梗塞の一歩手前で入院していた」「死ぬ目にあった」「もう一歩で脳梗塞だった」と言い回っていたので、母に問いただすと「お医者さんには高血圧って言われたけど?」との言葉。
つまり、脳梗塞だと診断されたわけではなく、母が誇張していただけ。
思っていたよりも症状が重くなくて良かったと安心した半面、なぜそういった嘘をついたのかという疑問が残りましたが、父が母に対して「あいつは大げさに具合悪がっているだけ」と言っていたのが腑に落ちた気もしました。
もしかするとずっと昔から、母のこのような行動に父も辟易としていたのかもしれません。
そして母は以前よりも我侭に拍車がかかるようになり、周りの迷惑などおかまいなしで「私は重病なのに!少しくらい優しくしてくれたっていいじゃない!」と喚き散らす始末。
他人の迷惑を考えてと諫めても全く聞く耳を持たない母を見ていると、私は母に対して今までとは違う不思議な感情を抱くようになりました。
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